侍ジャパンの歴史!日本野球のパイオニアたち

Samurai Japan: Japan's Baseball Pioneers

June 29, 2023

日本の国技といえば『相撲』ですが、実際のところ、観客・プレイヤー人口含めて一番人気のスポーツと言えば、やはり『野球』ではないでしょうか。日本のプロ野球リーグはもちろんのこと、 今年3月に開催されたワールドベースボールクラシックでの『侍ジャパン』日本チームの優勝や、アメリカのメジャーリーグなど、世界を舞台に多くの日本人選手が活躍しています。

最近ではスポーツ観戦の方法も種類豊富になり、試合経過を見ながら優良Bookmakerサイト であるWilliam Hillで楽しむというファンも増えていると言われています。こうしたジャンルでも、ヨーロッパで一番人気のサッカーに比べると、日本ではやはり野球が不動の人気を誇っています。 それほどまでに日本社会に野球が浸透したのはどうしてなのでしょうか?その歴史を、パイオニアとも呼べる先人達の存在と共に、紐解いて行ってみたいと思います。

読売ジャイアンツの本拠地、東京ドームでワールド・ベースボール・クラシックが開催された

読売ジャイアンツの本拠地、東京ドームでワールド・ベースボール・クラシックが開催された
(Photo courtesy of ウィ貴公子 under the Creative Commons Attribution-Share Alike 4.0 International license.)

日本野球のルーツ

日本に初めて野球文化がもたらされたのは、19世紀後半、野球誕生の国でもあるアメリカからでした。1873年に東京都内で行われたのが日本における初めての野球の試合だったとされていますが、 それを皮切りに、日本全国で急速に野球が広まっていったと言われています。その後、日本野球は様々な形で発展していきました。

1934年には早くもプロ野球が誕生し、暗い戦争の時代も乗り越え、1950年代以降は大学野球などが盛んとなりました。そして1970年代以降はプロ野球の発展が加速し多くのチームが誕生しただけでなく、 1980年代以降ともなると新設スタジアムがたくさん開場するなど、さらなる進化を遂げていきます。現在では、日本選手がアメリカのメジャーリーグでも活躍したり、先述したように ワールド・ベースボール・クラシックやオリンピックなどの世界大会でも日本チームが輝かしい記録を残すなど、世界的レベルで見ても日本野球の発展は目覚ましいものがあります。

日本野球の先駆者たち

今日の日本野球の発展のもとには、当然ながら野球を愛し、野球に夢中になった多くの先人たちの存在があります。例えば、明治31年に生まれた久慈次郎は昭和9年に開催されたアメリカ選抜チームと 全日本チームとの試合で活躍、その後、北海道のチーム『函館大洋倶楽部』に所属し、アマチュア野球の発展のために全力を尽くしました。

先述した日米の新全試合にて久慈選手と揃って活躍したのが、今日も残るタイトル『沢村賞』に名を残す、沢村栄治。日本で最初の職業野球チームとなった『大日本東京野球倶楽部』 (現在の読売ジャイアンツ)において、初代エースとして名を馳せ、日本人にとって伝説の野球選手ともいえる存在となりました。

そしてその職業野球を日本に作ることに尽力したのが、当時の読売新聞社の社長であった正力松太郎です。「アメリカ野球に追いつき、そして追い越せ」と彼が残した遺訓は、今の日本野球の不屈の精神の ベースになっているとも言えるかもしれません。日本野球の黎明期に、その発展のために尽力した彼らの存在があったからこそ、今日の日本野球があると言っても過言ではないのかもしれません。

プロ野球からアメリカのメジャーリーグへ

甲子園という聖地から生まれたドラマは、大学野球、社会人野球、プロ野球へと続いていきます。なかでも、やはりプロ野球は、日本のスポーツ界を牽引してきた存在と言えるのではないでしょうか。 そして、そこで活躍した選手たちは、さらに高いレベルをめざし、アメリカのメジャーリーグへと挑戦していくこととなります。日本の野球界にとって、常に憧れの存在であったメジャーリーグ。

かつてはその野球レベルの違いから、雲の上の存在とも思われてきましたが、メジャーリーグへ移籍した日本人選手たちの活躍ぶりはここで言及する必要もないほどです。今やメジャーリーグにおける 日本人選手の存在は大きく、「今日、日本人選手の才能と影響を抜きにしたメジャーリーグを想像することは難しい」と言われるほど、高い評価を得ています。

今も昔も多くの日本人に愛される野球。フィールドで生まれる様々なドラマは、いつの時代も人々の心を捕えて離しません。



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